大雁塔
各王朝が都を定めた長安。その長安で古都の雰囲気を演出しているもののひとつに大雁塔があります。塔は現在の西安の東南郊外慈恩寺境内にあります。慈恩寺は648年、唐の第三代皇帝高宗李治が亡くなった母、文徳皇后の慈恩を追慕して建立した寺で、高宗の皇太子時代に立てられました。当時の慈恩寺は 僧房1897室、僧侶300人が集まっていました。しかし、唐代末期、戦乱のため焼き払われ、今の大きさは昔の十分の一に過ぎません。
現在の境内にある当時の建物は大雁塔だけですが、塔の前方には明代と清代の建物が残っています。その講堂の中に金色の阿弥陀仏と昔の仏座が展示されています。講堂前の大雄殿には釈迦如来の三身仏と十八羅漢があります。これらの仏像は明代のもので、後年、鍍金したり、塗装して現在に至っています。塔の東南 に明、清代の慈恩寺歴代住職の舎利塔が八基あります。庭園には鐘楼と鼓楼があり、その中にそれぞれ大きな鐘と太鼓が掛けられています。
小雁塔
西安市以南約1キロの薦福寺内に位置し、その規模は慈恩寺の大雁塔より小さいことから名づけられる。小雁塔は唐の中宗景竜年(707~710年)に建てられ、密檐式、四角形、煉瓦構造の15重の塔だったが、その後地震で13重残存され、小雁塔は唐代の古都長安で残された2か所の重要な建築の一つで、薦福寺内の鐘音と共に「雁塔の朝の鐘」という有名な関中八景の一つとなっている。
香積寺
香積寺は西安の南、17キロ離れる長安県神禾原にある。この寺は仏教浄土宗の第二世祖である善導法師を祭るために、建てられたのである。境内には善導法師の舎利塔が静かにそびえている。ここは浄土宗の発祥の地と見なされている。
神龍2年(706年)、善導法師の弟子懐揮が建てたのである。天竺に衆香の国あり、仏の名は香積なり」と言い伝えがある。香積寺と名づけられたのは善導法師を香積仏にたとえたからである。唐代の大詩人王維の「香積寺に過ぶ」はとても有名である。
興教寺
玄奘三蔵の遺骨を保存する五層の舎利塔が寺内にある。その外、玄奘の弟子の窺基、円測の舎利塔もある。
創建は669年(総章2年)で、玄奘の遺骨を葬るために建てられた。664年(麟徳元年)に葬られた東郊の白鹿原から樊川の風栖原に改葬したのが、当寺である。唐朝の樊川八大寺院の1つである。唐末黄巣の乱の際に舎利塔が破壊され、玄奘の遺骨(或いは唯だ頂骨のみという)は行方知れずとなった。
舎利塔は再び唐朝の建築によって再建されたが、清朝の同治年間に被災し、中華民国時期に重建された。
興教寺は西安から南約24キロの少陵原にあり、中国の有名な翻訳家、旅行家であった玄奘三蔵法師が永眠しているところである。
玄奘三蔵法師は河南省維氏の出身で、唐の貞観3年(629年)天竺へお経を求めにいった。17年間もかかって、いろいろな困難を克服した。貞観19年(645年)お経を657巻持って帰国した。
玄奘三蔵法師は長安に戻ってきてから、お経の翻訳に携わった。また弟子と一緒に『大唐西域記』を編集した。本の中で、自分が行った118の国と伝聞した28以上の国の風景、物産、風俗などを詳しく書いた。この本は現在インド、パキスタン、ネパール及び中部アジアの国々の古代歴史と地理を研究するのに貴重な資料を提供した。
玄奘三蔵法師は19年間にわたり、経典の翻訳に心血を注ぎ、長年の苦労で、664年玉華殿(今の陝西省銅川市)で亡くなられた。最初は西安市の東郊外白鹿原に葬られたが、669年に今のところに移された。唐の粛宗皇帝(李享)が玄奘三蔵法師を記念するため、塔額に「興教」という字を書いた。その後、このお寺は「興教寺」と呼ばれるようになった。
玄奘三蔵法師のことをもとにして、明代の呉承恩は有名な小説『西遊記』を書いた。
水陸庵
西安市から50km(藍田―西安・高速道路)の道路沿い、藍田県の県城東方10km、普化鎮の王順山の麓にある。蓮花山という青山が聳え、三方を水に取り囲まれた小島のような形をしている所から、水陸庵と名づけたのである。「藍田県誌」と碑文の記録によると、六朝時代に建てられたことになる。古刹悟真寺の大殿の部分である。中国佛教浄土宗の発祥地の一つである。国内外で盛名を享有する。水陸庵は明代の塑像3700余りを現存する。漢中の名勝旧跡の一つ。明清時代に何回も修復を施した。
水陸庵の正面に山門が5つ、南北両側にそれぞれ部屋13、中心部には前殿、中殿、大雄宝殿のがあり、「四合院」のような建築である。
水陸庵は陝西省のお寺の中では最も多く、最も完全な壁の塑像を保存するところである。壁の塑像はすべて釈迦牟尼伝説の物語を描いている。庭園、滝、山水橋梁・楼閣・宮殿があれば、菩薩、飛天などの人物もある。また龍・鳳凰・獅子・麒麟・象・牛などの鳥獣もある。
清真大寺
清真大寺は西安市の鼓楼の北西にある化覚巷(西安のイスラム地区)に位置し、化覚巷清真大寺とも呼ばれます。西安市の大学習巷の清真大寺と共に中国最古のモスクと称され、大学習巷の東側にあるため、東大寺とも呼ばれています。
西安清真大寺は長い歴史を持ち、雄大な宮殿式の古代建築群で、イスラム文化と中国文化との融合によって生まれた建造物です。このモスクは唐の天宝元年(紀元742年)に建て始められ、宋、元、明、清の各時代に改修され、現在のような形になりました。
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